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HI-STORY PROJECT Vol.4 Metal Artist:西川恭史 ~海を渡った鉄工職人~ 世界のストーリーを探す旅、今回はNYで活躍されているMetal Artist、西川恭史さんにお話を伺いました。日本で20年の長きに渡り金属加工職人としてやってこられた西川さんが、それまでの地位を捨ててまで渡米を決意した経緯とは。日本の金属加工の現状、日本とアメリカにおける職人の立場の違いを始めとして、日本からアメリカへと渡った1人の職人としての半生を語っていただきました。職人の本質とは何かを問う第4弾です!

2013 Oct.25
HI-STORY PROJECT Vol.4

Metal Artist:西川恭史 ~海を渡った鉄工職人~

世界のストーリーを探す旅、今回はNYで活躍されているMetal Artist、西川恭史さんにお話を伺いました。日本で20年の長きに渡り金属加工職人としてやってこられた西川さんが、それまでの地位を捨ててまで渡米を決意した経緯とは。日本の金属加工の現状、日本とアメリカにおける職人の立場の違いを始めとして、日本からアメリカへと渡った1人の職人としての半生を語っていただきました。職人の本質とは何かを問う第4弾です!

Metal Artist:西川恭史 ~海を渡った鉄工職人~

001 職人歴20年目にしての渡米

20年もの間金属加工職人として活躍し、そのうちの10年間は自らの会社も経営していた西川さんが、突如渡米を決めたのは2年ほど前のこと。日本で、経験も地位もあった西川さんが、全てを捨ててまでNYにやってきた理由を伺いました。

「職人として鉄を触って20年、自分の会社を経営して10年というひとつの節目。自分の会社の行く末に考えを巡らせた結果、選択肢がほとんど無いことに気づいたんです。借入をして設備投資を行い、従業員を増やしながら規模を拡大していくのか、あるいは今まで通り細々とやっていくのか。20年もの間、手を骨折したり、火傷だらけになったり、髪を焦がしたりと、くちゃくちゃになりながら仕事をしてきた私に残された選択肢は、あまりにも少なかった。そんな現実に直面し、自分自身にものすごく腹が立った私は、新たな可能性を求めて、アメリカに行こうと決めたんです。」

それまでの全てを捨て、より実りのある新しい人生を掴むために渡米を決意した西川さん。アメリカに来た当初は、全く英語が話せなかったと言います。そのうえ決心した時は既に40歳。長年かけて築いてきた地位を捨てて、全く新しい環境に降り立つ。それは言葉にすれば簡単ですが、決して容易な決断ではなかったはずです。

「実はアメリカに来て、何かモノヅクリに携わるだろうとは思っていましたが、鉄工をやろうと思っていたワケでは無かったんです。それが、たまたま自分の昔の作品の写真をパソコンで整理していたら、隣に今のアトリエのオーナーであるマイケルが座っていて、勝手に覗き込んできたんです。『それはお前が作ったのか』と尋ねられ、『そうだ』と答えると、『鉄をこんな風に加工できるなんてすごいな!』となって。それが、NYでの今の仕事に繋がりました。」

Long Island City、アトリエ近郊での写真
Long Island City、アトリエ近郊での写真

002 「動けない」という暗示を打ち破る」

実際にアメリカに渡ったことで、NYや海外に居る日本人の職人の多くが若いころにアメリカに渡り、こっちで技術を磨いてきた人達だと気づいたそうです。

「NYにも日本人の職人はいますが、僕のように、日本で20年も職人としての経験を積み、自分で会社も経営していた人が、会社を畳んで海外にやってくる、なんていうのは殆ど聞いたことのない、例外的な話です。それでも僕がアメリカに行こうと決心できたのは、身近な人のアメリカでの成功を目の当たりにしたことや、会社を畳む時に、『どう転ぶかは分からないけど、面白いやん。がんばれよ』と、たくさんの人たちが応援してくれたからです。それらの全てが僕の背中を押してくれました。」

西川恭史さん作業現場
西川恭史さん作業現場

003 「職人」と「アーティスト」

西川さんによると、日本ではアーティストと職人は正反対の所にいて、決定的に別のものだとされているそうです。実は、日本における職人の立場はあまり高くないことが多く、モノづくりをするにあたり、自分の意見を主張することは少ないと伺ったときには、衝撃を受けました。

「日本では、寡黙に仕事をこなすことが美徳とされている職人の世界において、職人としての在り方や自分の意見を主張することは、恥ずかしいこととされている。特に建築関係においては、職人が職人について語るのはタブーです。僕らは受注したものを寸分狂わずに量産できるかどうかが問われる。重要なのは、それを如何にスピーディーに、安く提供できるのか、ということです。」

その一方で、NYでは、同じように仕事をしていても、仕事や職人に対する根本的な考え方が違うと言います。特に、「少しでも自分の考えでモノを作るのがアーティスト」、という考えに触れた時は、目が覚めるような思いをしたそうです。

「かつて、アメリカの劇団から、ある作品の大道具制作を依頼されたことがありました。僕なりに考えて色々な提案をしたら、すごく気に入ってくれました。その作品が『New York Times』に紹介された時の、僕の紙面上での肩書きは『アーティスト』。僕はただの職人なのに、アーティストと呼んでもらっていいのか。そう思い尋ねてみると、『少しでも自分で考えてモノを作れば立派なアーティストなんだよ』との答えが返ってきました。アメリカでは、デザイナーも職人も芸術家も、全部ひっくるめてアーティストなんです。自分のモノを作れるスキルがあればアーティスト。スタートの部分の考え方からして違うんだと、感心しました。」

そういった考え方を元にしているため、NYで制作を頼まれる時は、「これだけ守ってくれればあなたの得意な方法でやっていいよ」と話が進むそうです。職人に対する尊重があり、そこには上下関係がない。日米の根本的な考え方の違いを肌で感じたのだと言います。

使い込まれた道具たち
使い込まれた道具たち

004 日米の建築現場の違い

「日本の建築現場では、どこへ行くのかよく分からないようなものも沢山作ってきました」と、西川さん。日本の建築現場では、施主さんがいて、元請けがいて、中間業者をいくつも通して、最後に下請けに回っていく。そのため、完成品が施主さんの思っていたものからかけ離れていくことも少なくないと言います。

「多くの人を通した結果、『これは欲しかったものと違う』となってしまうことも多々あります。僕ら職人がモノをつくるのは、作ったものを喜んで使ってもらうため。だから喜ばれないモノを作るのは、本当にむなしいことです。一方で、アメリカでは作り手と受け手がもっとダイレクトにつながっている。欲しいモノが素直に、スムーズに手に入る環境がある。さまざまな文化圏からやってきた人たちが入り混じるアメリカだからこそ、シンプルな伝達が発達したのではないでしょうか。」

西川さんのように、日本の建築現場を知った上でこちらに渡ってくる人は多くありません。「だからこそ、日米の違いを知っている人間が、何かのカタチでそうした違いを伝えていかなければならない」そうおっしゃっていたのが印象的でした。

用途別にタイフがある溶接専用のバーナー
用途別にタイフがある溶接専用のバーナー

005 自分の中の固定観念を壊していく喜び

「この年齢になって海外に渡り、考え方を変えることが出来たのが、なによりも意味があったと思っています。」とおっしゃられていたように、日米の職人のマインドの違いに考えさせられることが多かったのだそうです。

「僕が日本で会社をやっていたころ、1日でも仕事が途切れると不安になりました。日本では職人の満足度がお金で測られている面があるからです。だから、ひとたび不景気になると必要以上に落ち込んでしまう。それに対してアメリカの職人たちは、仕事が空いても、実にあっけらかんとしています。例えばこの工房にいるほかの職人たちなどは、少しでもヒマになるとすぐに、飲もうぜ、釣りに行こうぜ、などと誘ってきます。今では、自分もそういうゆとりをもった考えでありたいと思うようになりました。」

職人に対する基本的な考え方が全く違う環境の中にいることで、日本で20年かけて形成された固定観念がどんどん変わっていく。そんな変化を楽しむことの出来る西川さんは、お話しを伺っている最中も、本当に輝いていました。

「今、この場所で自分が変われるのが面白い。もっと違う自分を見たい。アメリカよ、もっともっと俺を変えてみろ、という気持ちでいます。」

西川恭史さん
西川恭史さん

006 手にあるモノで表現して、新しいモノを掴む

西川さんの作業場は、シェア形式のアトリエの一角にあり、他にも数名の木工や鉄工などの職人が共同でスペースを借りています。シェアメイトは全員英語。まだ英語を勉強中の西川さんは、言葉と引き換えに技術でコミュニケーションをとってきたそうです。

「シェアメイト達は僕の技術に敬意を表して、マスターと呼んでくれます。彼らが仕事で困った時に僕が技術で助ける代わりに、僕が英語で困った時は、彼らが助けてくれる。技術があれば、どこへ行ってもなんとかなるんです。お金や言葉は、後からついてくる。」

そして、日本から離れることで見えてきたことについて、西川さんはこう続けます。「鉄を叩くこと、これが僕の生き様です。他のことを知らずに生きてきました。でも今、自分はアメリカに来て、今まで知らなかったことに触れています。自分の国では高い地位があっても、その人を全く見知らぬ国や土地に放り込めば、否応なしに赤ん坊のようになる。しかし、そうすることによって、偽りのない本当の自分や相手の姿が見えてくる。そこから新しいモノは生まれるのだと思います。今の日本の職人に必要なのは、そういうスタンスではないでしょうか」。

自分から変わることは難しい。だからこそ、外に出て、外の力を借りて自分の弱さを知ることは、大きな意味があるのではないでしょうか。

New York City の夕焼け
New York City の夕焼け

007 外に出た職人として出来る事

「今、こっちで自分がやっている仕事の写真を、Facebookなどを通してUPしています。そうすると、昔の仲間が、日本と同じことができるんや、という反応を返してくる。そうやって、もっともっと多くの職人に俺もできるかも、思ってもらいたいんです」と西川さん。

「職人として、日本の伝統を引き継ぎ、継承していくということはとても重要。しかし、日本と海外におけるモノヅクリを肌で感じることの出来た職人は、日本だけの枠にとらわれず、新しい発想からモノを生み出すことができる。だからこそもっと海外に目を向け、『日本の伝統に新たな風を吹き込むことができる職人』が日本に増えて欲しい」と考えているそうです。

「日本とアメリカで、職人や職人を目指す若い人達が行き来して交流できる環境をつくり、モノヅクリの面白さを、もっともっと伝えていければと思います。老若男女、国や文化の関係なく、みんなでひとつのことをやり遂げる。そしてみんなでうまい酒を飲む。それはものすごく素敵なことじゃないですか。」

008 インタビューを終えて

インタビューのあいだ中、自分が変わっていくことが楽しくて仕方がないのだと繰り返しおっしゃっていた西川さん。その目はとてもワクワクに満ちていて、輝いていていました。変わることを恐れない強さ、それを楽しめるゆとりのある心。今の日本に必要なのは、そういう気持ちなのではないでしょうか。

このプロジェクトを通して、モノヅクリやそれに携わる職人のストーリーだけでなく、旅することの意義、日本の外に出る事の意義などについて、少しでも面白い角度で伝えて行けたらと思っています。

最後に、お忙しい中、素晴らしいお話を聞かせて下さった西川さんに感謝を。

それではまた次回お会いしましょう。

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文 周栄 行