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2015 Aug.3
対詩ライブ@d-laboミッドタウン Vol.2

第二回 対詩ライブ@d-laboミッドタウン

会場の様子

4月5日に1回目が開催された「対詩ライブ」。2回目となる今回も「詩人の隣人化」をコンセプトに活動をつづけている同人グループ「オブラート」の主催により、詩人の谷川俊太郎氏と覚 和歌子氏に「即興詩のかけあい」をご披露していただきました。ライブは一方が詩を書いている間は一方が参加者と歓談するといった和やかな雰囲気の中で進行。普段はなかなか見ることのできない「むき身の詩人の貴重な創作行為」を目にすることができました。

出演:谷川 俊太郎、覚 和歌子
主催:オブラート

対詩ライブは前回の作品の「つづき」を書く形でスタート

「対詩」とは、複数の詩人がリレー形式で詩を書いていく「連詩」の2人バージョン。連詩が5人くらいで行なわれるのに対して、対詩の場合は一対一で、互いの書いた言葉を受けて詩を創作していきます。一編は3行から5行。この日もこの数行の詩を谷川さんと覚さんに交互に書いていただきました。手がける作品は前回の対詩ライブで第十詩まで書いたもののつづき。実はスタート予定時間の前から着席したお二人。「試験的に第十一詩を書いたら興が乗ってしまって十六編まで書いてしまいました(覚さん)」とのこと。まずは初めてという参加者のために「前回のおさらい」として第一詩から第十詩までを朗読してもらいました。

ひきつづき今日できたばかりの第十一詩から第十六詩も鑑賞。谷川さんの第十一詩と覚さんの第十二詩は以下のようなものでした。

デッドエンドなんて嘘だと思った小学3年のこと
地獄だって天国だってあるじゃないか
時間も空間もエンドレス
子どもの宇宙は大人の宇宙よりはるかに巨大だった

ここからいちばん遠いところ
ピアノの音と音の間のような
今いるここと地続きなのに
夢と区別がつかないところ

和歌子

谷川さんの「デッドエンド」という言葉は前回のラストを飾った覚さんの第十詩にある「行き止まり」という言葉を受けてのもの。覚さんの「ここからいちばん遠いところ」は「子どもの宇宙は大人の宇宙よりはるかに巨大だった」という一行を受けて書かれました。対詩はこんなふうにお互いに「受け」あいながら、前へ前へと進んでいくのが大前提。この日は終了時間までの2時間のうちにテンポよく第二十四詩までが書かれました。

参加者からは次々に質問が

参加者からの質問に答える覚さん

覚さんが書いた第十六詩までの解説を加えながらの朗読。それが済んだところで「さて、わたしがここでつづきを考えなきゃいけないんですね」とパソコンに向かう谷川さん。覚さんはというと、さっそく寄せられた参加者からの質問に回答していただきました。

質問は「対詩を創作している間は、言葉が頭に浮かんでから書いているのでしょうか、それともキーを打ちながらだんだんと言葉が引き出されていくのでしょうか?」といったもの。それに対して「両方です」と答える覚さん。

「対詩というのは、この場所とこの時が書かせてくれるものだと思います。これが d-laboというこの場所でなかったら別の言葉が出てくるだろうし、みなさんの中のおひとりでもここにいらっしゃらなかったりしたらまた何かが変わっているだろうと思います」

もうひとつ、投げかけられたのは次の質問。

「(質問)対詩と自分ひとりで創る詩とでは意識の違いのようなものはあるのでしょうか?」

「対詩や連詩というのは、相手の書くものによって自分では思ってもみなかった展開を与えてくれるので、私にとっては書きやすいものですね」

過去には「一人連詩」という創作方法にもチャレンジしたことがあるという覚さん。

「一人連詩は難しかったですね。発想がある程度は開いてくれるんだけど、飛ぼうとすると頭で考えたような飛び方になっちゃうんです。予定調和にしないようにしようという予定調和というか、左脳活動が過剰になっちゃう。一人連詩はすごく疲れます」

その他に「連詩や対詩のルールやマナー」について尋ねる声もありました。連詩はそもそも詩人の大岡信氏がルールを確立。そこには連句の「発句」にあたる「発詩」があり、それは5行と定められています。一編は前述したように3行から5行。「ひとつの作品」として扱われるのは「12の倍数」が基本。なので連詩や対詩の分量は全部で12編や24編、36編といった12で割ることのできる数となります。そうやって出来上がった詩は「みんなのもの=全員が著作権者」。誰が優れているかを競いあうものではなく、「この場を味わい楽しもう」という発想の詩の創作形態、それが連詩や対詩といったものです。

参加者からの質問に答える覚さん

相手の言葉をどう受けるか。「次の一手」は?

谷川さんが質問される番に

ここで創作は谷川さんから覚さんへとバトンタッチ。手の空いた谷川さんにもさっそく質問の手が挙がりました。

話題になったのは「待っている間」のこと。「こうして覚さんが書かれている間は、谷川さんはチェスの手みたいに次の一手を考えているのですか?」との問いに「あんまり真剣に考えてはいませんけどね」と笑顔の谷川さん。

「ただ、何となくぼんやりとは、こういうので受けられるのかなというのは考えています」

「こういうの」とは、モニタ―に映っている覚さんの「冷やした地球に包丁を入れようか」という1行目。この日のライブでは、パソコンに打ち込んだ原稿はそのままモニターに表示されます。だから書いたと同時に読むことができるし、削除したり書き足したりといった推敲作業もどのように行なわれているかライブで見ることができます。これが前回との大きな違い。

「〈冷やした地球に包丁〉と言われると、氷河期の地球の話にした方がいいか、それとも今の世代の危機的な状況を受けた方がいいのか、それともそんなに深刻な受け方はしないで子どもの頃の井戸で冷やしたスイカにしようかとか、その程度の漠然としたことは考えています」

実は第十七詩を書いていた間、お友だちからの電話でいったん席を外した谷川さん。戻ってすぐにまたカタカタとパソコンを鳴らし始めたその姿に「瞬時にスイッチが切り替わって驚いた」という参加者もいました。

「対詩だと、あまり推敲に時間をかけると相手に悪いような気がするんですよ。だから常にちょっと焦っているんです」

「焦り」の影響もあるのでしょうか、対詩を含む連詩には制限時間といったものは存在しませんが、数行を書くのに要する時間は平均して3分から7分と短め。そのため割とテンポよく進むことが多いとか。逆に一人があまりに長考すると「流れが澱んで言葉が出てこなくなる」といいます。

質問に答える谷川さん

「宇宙の情報図書館」からもらってきている、という感覚

真剣なお二人

「包丁で地球を八分の一に切ってみました」という覚さんの第十八詩は以下のもの。

よく冷やした地球に包丁を入れようか
前の夏から続いている蝉の声が
盥の氷をかきまわす
八分の一の甘みを舌でつぶして
恋人が召集されない戦場の空の色を思ってる

和歌子

「甘み」という言葉にちなんで参加者からは「和歌子さんは詩を創るときに甘いものをつまんだりするんですか?」という質問が。

「食べながら詩を創るということはあまりありません。でも煮詰まると食べ物にいきますね。脳をすごく使うから甘い方に。お酒を飲んで書いてみたこともあるんですけど、そのときはすごいものが書けたと思っても醒めると全然そんなことはなくて……お酒には違うところに運ばれてしまいますね」

「盥(たらい)」という漢字に「おもしろい漢字があるのですね」という声も。

「(質問)詩を書いているとき、漢字にしようか平仮名にしようかと考えることはあるんですか?」

「詩には目から入るという身体性もあります。平仮名にするかカタカナにするか漢字にするかというようなことについて、詩人は厳密に考えます。韻律とかリズム感とか、読んでどう聞こえるか。俊太郎さんも私もこれを大事にする部類の詩人だと思います。意味は同じでもどういうリズムや響きでそれが表現されているか、それについては心の中でいつも誰かの声や自分の声にしてフィードバックしています」

この言葉を表わすように、この後に書かれた覚さんの第二十詩はすべて平仮名でした。覚さんによると「直感的にやった」とのこと。

「書いた内容が音の中に神様がいるといったものだったので、音により近い文字の方がよかったんだと思います」

つづいては「才能」についてのディープな質問。

「(質問)才能の源泉というのは生まれつきと思われますが、文学や旅行からも得られるものなのでしょうか?」

覚さんの答は「才能というのはすごく難しい概念です」。

「表現をする人たちは才能があると思ったらそこで終わり。もちろんインスピレーションから何かを受ける力というのはあって、私も日々の瞬間瞬間がアイディアの源泉であることは確かなんですけど、そうだとしても宇宙の情報図書館のようなところにすでに存在しているものをただもらってきているという感じなんですね。努力というものがあるとしたら、その情報が流れてくるチューブをきれいに掃除しておくことじゃないか。それには無心になることがすごく大事ですね。自分の心の中を真っ白な原稿用紙にしてそれを待っているという感じです」

会場の様子

言語が発生するときのように詩の言葉が出てくれば……

詩の発表をする谷川さん

和やかに進む質疑応答。そうしている間に谷川さんの第十九詩が書きあがりました。

岩は声を覚えている
囁きも叫びも沈黙すら
岩の時間は小鳥の時間よりもゆっくりしているだけ

「岩」ときたのは覚さんの「蝉の声」から。谷川さんいわく「芭蕉受け(閑さや岩にしみ入る蝉の声)」だそうです。その谷川さんにも「和歌子さんは源泉をすでにあるものからもらっているとおっしゃっていましたけど、谷川さんも同じようにいただいているという感覚なのですか」という質問がありました。

「もちろんそうです。言語そのものにしても自分のものではないでしょう。自分の言葉だと思うと何か広がりが狭くなっちゃって自分の器でしかなくなるけど、全部他人のものだと思っていればそれが無限にあるわけじゃないですか。そして言語というのはそれを生成する元があります。それは意味とか文節化されたようなものではない混沌としたものであって、とにかくわけのわからないものですよね。言語が人類の歴史のうえでいつ発生したものかわからないけれど、詩を書くときもその言語が発生するような状態で言葉が出てくると詩の言葉としてすごく新鮮になると思いますね。言い古された決まり文句ではない言葉が詩には必要だし、ものすごく複雑に絡みあったものの中から詩の言葉っていうのは出てくると思うんですよね」

では谷川さんにとって「日本語のメリット」とは何でしょうか。

「それは母語であることに尽きます」

母語は「自分の身についているもの」。よほど長年使っていない限り外国語は「知識でしかない」。

「僕は英語の翻訳をするときがあるけれど、英語力ではなく日本語力でやっている、と言っています」

対詩だと普段の語彙にないフレーズが出てくる

さらに質問に答える覚さん

このあとも、谷川さんと覚さんには途絶えることなく質問がつづきます。作詞家でもある覚さんには「詩」と「歌詞」の創作方法の違いや、文章の持つ「音楽性」について。谷川さんには「言葉あそびの詩」と「普通の詩」、それぞれの書き方など。そしてその間にも作品は前へ前へと進みました。この場では最後の2編である第二十三詩と第二十四詩を見てみます。

写本の競りは5桁から始まった
収集家はIT関係の若い男だという噂
値上がりを予想しているのかというのはゲスの勘繰り

ジャンヌ・ダルクが脱ぎ捨てたスカートをひるがえし
できるかぎりの大股で
彗星の尾を見失わないように
かぎ裂きの未来へと

和歌子

第二十三詩は「お金の匂い」がする一編。「ゲスの勘繰り」という言葉には「俊太郎さんのフレーズじゃないような言葉が出てきましたね」と覚さん。谷川さんは「これが対詩のおもしろいところ」。普段は自分の語彙にない言葉がぽんと出てくるのが対詩の妙味のひとつです。

「お金の匂い」をさせてみたのは、第二十二詩が「お金の匂いがしないフレーズだったから」。あえて対比させることで場面を転じる。そうやって「前へ」と進んでいくのが対詩です。

この日の区切りとなった第二十四詩は「閉じない」もの。この作品はまだ終わらせずにつづきを書いていこうということで、「挙げ句」的にはしないで前へと進んでいくような内容でパソコンを閉じていただきました。

最後はライブ開始後に書かれた第十七詩から第二十四詩までを朗読。3回目への期待を残して対詩ライブは幕を閉じました。

閉会の様子

講師プロフィール

谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)
谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)さん

1931年東京都生まれ。詩人。1952年、第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。1962年『月火水木金土日の歌』で第4回日本レコード大賞作詞賞受賞。1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など受賞、著作多数。詩作をはじめ、絵本、エッセイ、翻訳、脚 本、作詞などの分野で幅広く作品を発表している。

覚 和歌子(かく わかこ)
覚 和歌子(かくわかこ)さん

詩人、作詞家。早稲田大学第一文学部卒業。詩人として活動する一方、沢田研二、クミコ、ムーンライダーズ、小泉今日子、夏川りみ、新垣勉、SMAP、平原綾香などの作詞を手がける。2001年『千と千尋の神隠し』主題歌『いつでも何度でも』の作詞でレコード大賞金賞受賞。詩集『ゼロになるからだ』(徳 間書店)、『海のような大人になる』(理論社)、自唱CD「べジタル」など著作多数。米国ミドルべリー大学日本語学校特別講師。

オブラート

公式サイト

文・中野渡 淳一
写真・マツザキヨシユキ(oblaat)