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2016 Mar.2
Topic on Dream ~夢に効く、1分間ニュース~ Vol.125

“ファーストウェーブ”は神戸から?!
日本のコーヒーの歴史をたどる

コーヒー

朝の目覚めに、食後の眠気覚ましに、たちのぼる香りと味わいが私たちを癒してくれる「コーヒー」。最近ではアメリカ西海岸に端を発した「サードウェーブコーヒー」系のコーヒーショップが日本に進出し、シングルオリジン(単一の農園で収穫された豆)のスペシャルティコーヒーも注目を集めています。

そんななか、日本で初めて喫茶店を開業したとされる神戸の「放香堂(ほうこうどう)本店」が、開業当時のコーヒーをイメージして再現した「明治復刻ブレンド」を2015年10月に発売しました。

はたして明治時代のコーヒーとは?今回は、日本のコーヒーの歴史を遡ってみましょう。

江戸時代、オランダ人によって日本へ伝来

今やすっかり私たち日本人の生活に根づいているコーヒー。伝来したのは遥か昔、17世紀後半の江戸時代。長崎・出島にオランダ人が持ちこんだのがはじめと言われています。

当時はおもに日本駐在中の外国人たちが好んで飲んでいたコーヒーですが、日本人はコーヒーの味をどのように受け止めたのでしょうか。ヒントとなるのが、1804(文化1)年に幕臣・大田蜀山人が記した体験記『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』。彼はこの書物のなかで、コーヒーを飲んだ感想を次のように記しています。

「紅毛船にて“カウヒイ”というものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくて味ふるに堪えず」

“焦げくさくて味ふるに堪えず”とは、なかなかの言われよう。どうやら当時の日本人は、必ずしもコーヒーを美味しいと感じていたわけではないようです。

緑茶の輸出をきっかけに始まったコーヒーの輸入

その後、1859(安政6)年には横浜が、1867(慶応3)年には神戸が開港し、日本は外国との交流をスタート。日本からの輸出品は、生糸とともに緑茶が高く評価され、外貨獲得の一翼を担います。

そんななか、1867(慶応3)年に神戸港に輸出商館を設け、諸外国と緑茶、そしてコーヒーの貿易をはじめたのが「放香堂」でした。その方法はとてもユニーク。緑茶を輸出した際、空になった壺にコーヒー豆を詰めて持ち帰ったのです。

放香堂は1874(明治7)年に神戸・元町に宇治茶専門店を開店し、日本茶とともに、コーヒー豆の販売を開始。さらに、その4年後には、コーヒーを提供する喫茶店を設けます。一般的に「日本初の本格的な喫茶店」とされている東京の「可否茶館」よりも10年ほど早い、コーヒーの提供スタートでした。

70年以上の月日を経て復活した明治のコーヒー

少しずつ一般の人々にもコーヒーは「ハイカラな飲みもの」として受け入れられるようになり、昭和初期には黄金期を迎えることとなった喫茶文化。しかし、やがて日本ではコーヒーを口にすることができなくなります。そのわけは太平洋戦争。コーヒー豆の輸入が停止されたのです。戦後、放香堂は復興したものの、長らく日本茶の専門店として営業を行なってきました。

そして、放香堂がコーヒーの販売をやめてから、70年以上。長い年月が経っているにもかかわらず、放香堂には「当時のコーヒーを飲んでみたい」との声が多数寄せられていたとか。その要望に答える形で、2015年10月、喫茶店「放香堂珈琲店」がオープン、明治時代のコーヒーが復活したのです。

「神戸港150周年(2017年)も間近に控えたこのタイミングは、販売に踏み切るのにいい時期だと考えました」と放香堂営業部長の橋本琢也さん。長い時を経て、私たちは明治時代のコーヒーを味わうことができるようになったのです。

日本最古のコーヒーは石臼で挽いていた?

コーヒー販売の復活にあたり、目玉となったのは「明治復刻ブレンド 麟太郎」。明治時代に販売していたコーヒーをイメージして開発した商品です。

「明治復刻ブレンド 麟太郎」開発の参考にしたのは、当時の木版画と新聞広告。木版画には「印度産珈琲」と書かれていたため、コーヒー豆はインド産のアラビカ種を使用。また、広告の「焦製飲料コフイー」といったコーヒーの提供方法に関する記載内容をもとに、豆を深煎りに焙煎し、コーヒーミルの代わりに特注品の石臼を用いて細挽きにしているとか。

もちろん、時代に合わせて新たな技術を取り入れた点も。当時は煮出し式で淹れていたものを、現代でもポピュラーなフレンチプレス式(豆に直接湯を注ぎ、上澄み部分を取り出す方法)で抽出し、ポットに入れて提供することにしたそうです。

コーヒーミルの代わりに石臼を用いて豆を挽く
コーヒーミルの代わりに石臼を用いて豆を挽く

「おかげさまで、お茶をお買い求めにこられた従来のお客さまをはじめ、多くの方にご好評をいただいております。『石臼で豆を挽く』という点で、見た目にも楽しんでいただけているようです」と橋本さんは語ります。

「明治復刻ブレンド 麟太郎」ポット 630円(税込)
「明治復刻ブレンド 麟太郎」ポット 630円(税込)

コーヒーは今も昔も新しい文化?

明治時代に活躍した書生芝居の役者・川上音二郎は、当時大流行した歌『オッペケペー節』で「腹にも慣れない洋食を やたらに食うのもまけおしみ 内緒でそーッと反吐ついて 真面目な顔してコーヒ飲む おかしいねえ」などと唄いました。

ハイカラ文化を「西洋かぶれ」と揶揄するような歌詞からは、新しい文化をこぞって取り入れようとしていた明治時代の人々の様子が垣間見えます。

コーヒー豆の輸入が始まって約150年。コーヒーの味も、挽き方も変わっているでしょう。しかし新しい文化に興味を持ち、生活に取り入れるという意味では、当時の喫茶店に足を運んだ人たちも、現代のサードウェーブコーヒーのカフェに足を運ぶ人たちも、変わらないのかもしれません。

参考文献:『コーヒーの事典』(田口護監修/成美堂出版)
『紅茶の文化史(平凡社ライブラリー)』(春山行夫著/平凡社)

文・大矢幸世