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2016 Apr.28
Be Unique! ~オンリーワンであること~ Vol.18

日本の最前線をいく〈サーフィンウォーターフォトグラファー 神尾光輝〉を、過酷な撮影に挑ませるものとは?

“いい顔してる植物”と小田康平さん

『Be Unique!』では、「オンリーワン」な人・企業を訪問。その価値と魅力に迫ります。なぜオンリーワンなのか、どうやってオンリーワンな存在になりえたのか…。そこにはきっと、ほかにはない「夢」や「ストーリー」があるはずです。

今回ご登場いただくのは、サーフィンウォーターフォトグラファーの神尾光輝さん。神尾さんによれば、サーフィンを専門とするフォトグラファーは、日本で10人以下。なかでも神尾さんは、広く名を知られるフォトグラファーの1人。ハワイのノースショアの大波など、危険なコンディションにおける水中からの撮影にも、果敢に挑んでいます。同じことを行なうフォトグラファーは、現在日本にはいないとか。

サーフィン好きの少年だった神尾さんが、カリフォルニアに渡り、フォトグラファーになるまでのお話、そしてこれからの夢を伺いました。神尾さんだからこそ撮影できる臨場感溢れる作品と、サーフィンの魅力とともに、お届けします。

サーファーの一番近くで空気を共有し、
その瞬間にしかない写真が撮りたい


神尾さんは、サーフィン専門誌などを中心に活躍。
写真のほか、動画を撮影することも。
迫力ある撮影ができるのは、水中で間近から狙うからこそ。
動画:©M.KAMIO

神尾さんの肩書きは、サーフィンウォーターフォトグラファー。サーフィンウォーターフォトグラファーとは、一般的には、水中から撮影を行なうフォトグラファーのことを指します。しかし神尾さんは、この肩書きを名乗るうえで、より高い条件を自分に課しているとか。

「僕が考えるサーフィンウォーターフォトグラファーとは、単に水中でカメラを構えるだけでなく、大きな波、潮流が激しい海、極寒の状況など、厳しい状況でも、撮影を行なうことができるフォトグラファーのことなんです」

ほかのフォトグラファーが行なわない状況下でも、果敢に撮影に挑む神尾さん。そのスタイルをスタートした経緯を伺うと、こう教えてくれました。

「ハワイのノースショアなど、波が大きく危険性の高い場所の場合、日本人のサーフィンフォトグラファーは、ブギーボートなどに乗り、波のこない場所から撮影する人が多い。なかにはブギーボートではなく、海の中から撮っている先輩もいましたが、カメラと足ヒレだけというスタイルで、フォトグラファーたちの最前列に並ぶ日本人フォトグラファーはいなかったんです」

それを見ながら、「なんでインパクトゾーン(波のブレイクのパワーが一番強い場所)で撮影しないんだろう?」と、ずっと思っていたという神尾さん。

「僕は3歳から水泳をやっていて、高校は水泳の推薦で入りました。泳ぎが得意だったので、厳しい条件でも、水中撮影ができるだろうという自信があったんです」

神尾さんの撮影は、インパクトゾーンで行なわれるため、サーファーの数メートルまで近寄り、臨場感ある撮影をすることが可能です。しかし、危険な場所にいるだけに、さまざまなアクシデントが起こることも…。

「10枚以上撮影しても、トリミングせずにフレームに収まる絵になっているのは、1~2枚。水滴がちょうどレンズの部分についてしまったりして、撮れたと思っていたものが、撮れていないことも、多いんです。波の力で下の岩や砂に叩き付けられたり、ときには飛んできたボードと接触したりして、カメラが壊れたこともありますね」

サーフィン中の写真 ©M.KAMIOサーフィン中の写真 ©M.KAMIO

それでも、最前線で攻めるサーフィンウォーターフォトグラファーであることに、こだわり続ける神尾さん。その面白さは、サーファーのもっとも近くにいる存在であることとともに、究極の写真が撮れることに、あるそうです。

「フォトグラファーにはさまざまなスタイルがあります。そのなかで、“誰もやっていないほうをやる”のが、僕のスタイル。僕は、ほかのフォトグラファーが『ヤバイ!』と潜って逃げるときでも、『まだ大丈夫』と、ギリギリまでその場に残って撮影しています。その究極のポジションで究極の瞬間に撮った写真って、唯一無二の写真になるんです」

サーフィンとアメリカ。かっこよさへの憧れが、すべての原点

神尾光輝さん インタビューの様子

現在、フォトグラファー歴21年、サーフィン歴は28年という、神尾さん。フォトグラファーとなったきっかけを伺うと、高校時代に出会ったサーフィンのかっこよさだったと、教えてくれました。

「はじめてサーフィンをしたのは、高校2年生の夏。当時僕は、水泳の推薦で学校に入って、部活に励んでいたんです。そうしたら、クラスメイトのサーファーの友だちに『泳げるし、サーフィンもできるんじゃね?』と海に連れて行かれました。波に乗るサーファーを見て、『かっこいい!あんな風になりたい』と思いましたね」

少年時代を振り返りながら、「サーファーになって、女の子にモテたかった、ということもあります。いまだから言えるけど(笑)」と神尾さん。その後、大学に進学すると、六本木の外国人が集うレストランバーでアルバイトをはじめたとか。

「当時、映画や音楽の影響で、アメリカに憧れていたんです。運良く大学に進学し、水泳指導研究会に入部したものの、部活は早々に辞めて。学校とアルバイトとサーフィン、そんな毎日を送っていました」

そして大学卒業後は、アルバイトで貯めた280万円を手に、カリフォルニアに行くことを決意。

「93年の当時は、すでにカリフォルニアのサーフィン文化が確立されていました。カリフォルニアは、競い合うよりも、生活の一部にサーフィンがある感じ。そのムードや現地のサーファーの、ラフなファッションにも憧れていたんです」

フォトグラファーはサーファーから尊敬される存在。
その衝撃が、道を決めた

神尾光輝さん インタビューの様子

そうして訪れたカリフォルニアでの出会いが、神尾さんの運命を決定づけるものに。神尾さんがカリフォルニアで向かったのは、老舗サーフショップ「ザ・サーフ」の代表で、趣味でサーフィンの写真・動画撮影をしていた紀藤雅彦さんのもとでした。留学や仕事が決まっているわけではなく、カリフォリニアへ向かった動機は、憧れへの想いだけ。そんな神尾さんにとって、知り合いが書いてくれた紀藤さんへの紹介状だけが、唯一の行き先だったわけです。

「面識がない、しかも社長さんと話すなんて…」と緊張していた神尾さん。しかし、実際の紀藤さんは、親身になって話をしてくれる人だったそうです。

「当時の紀藤さんは、40代後半。なのに、リーバイス501にコンバースのシューズ、ペンドルトンのネルシャツ、ロン毛にヒゲという出で立ち。僕は、反ベトナムやヒッピー、“ラブ&ピース”に溢れた70年代のアメリカ文化に憧れていたんです。紀藤さんは、そういう70年代のアメリカを実際に生きてきた人。すごくかっこよくって、『ああ、この人について行かなきゃ!』と直感的に思いました」

渡米当初、短期の予定だった滞在は、いつしか、3年近くに。「まさか、カリフォルニアに渡って、日本人についていくことになるなんて思わなかった」と笑う神尾さんですが、現地での生活は、寝る時間がもったいないと感じるほど、充実していたそうです。

それまで、写真に興味がなかった神尾さんですが、紀藤さんの手伝いをするなかで、サーフィンフォトグラファーの仕事の素晴らしさにも、惹かれていったと言います。

「荷物持ちなどで紀藤さんについて回るうちに、世界のトップをいく、プロサーファーやシェイパー(サーフボードを削る職人)と顔見知りになって。舞いあがっていましたね(笑)。なにより印象的だったのは、試合が終わったあと、世界チャンピオンのサーファーが砂浜にあがってきて、紀藤さんと一言二言交わしていくこと。サーフィンフォトグラファーは、僕が憧れるプロサーファーたちから、一目置かれる存在なんだと感じたんです」

サーフィンは、すべての人を、
何にも囚われないピュアな心に戻してくれる

神尾光輝さん インタビューの様子

その後、紀藤さんの機材を借りて撮影をはじめ、いまでは、プロサーファーのもっとも近くで撮影を行なう、著名なサーフィンウォーターフォトグラファーに。もともとサーフィンが大好きだった神尾さんですが、フォトグラファーになったからこそ、気付いた海の魅力があると教えてくれました。

「海って一見同じに見えても、砂浜、波、光、なにひとつ、二度と同じ瞬間がない。その自然の光景や変化が、人の心を動かすんです。たとえば、いらだちを抱えていた人も、たった1時間海に入っただけで、『ま、いいか!』って顔になる。カメラを覗いていると、人の表情にも敏感になるんです」

そんな海とサーフィンの素晴らしさに気付く瞬間は、フォトグラファーとなって20年経ったいまでもあるのだそうです。

「最近、はじめてサーフィンをする60代の男性を撮影したんです。名刺を見たら、びっくりするようなスゴイ方で。『いつまでたってもわくわくドキドキしていたいから、挑戦した』そうです。80歳からはじめて現在3年目という方のお話も聞きましたが、その方も『80年生きてきたなかで、いまが一番楽しい!』と言っていたそうですよ」

多くのことを経験してきた人々をも魅了するのは、やはり海の力なのだとか…。

「どんな人でも、一から教えてもらわないと、海ではなにもできない。だから、見栄や恥に囚われない、ピュアな状態に戻れるんです、その姿を目の当たりにすると、サーフィンの奥深さを感じますね」

サーファーとともに、未知なる夢と希望を求め、
挑戦の旅をし続けたい

サーフィン中の写真 ©M.KAMIO

「これからはもっと、プロだけでなく一般のサーファーやビギナーも撮影していきたい」と語る、神尾さん。自らも、海を舞台に新たなチャレンジに燃えていると言います。

「ハワイでの撮影は、21年目のシーズンを迎えました。水中撮影に限って言えば、19年目のシーズン。冬のノースショアは、世界で最も危険なコンディションなんです。そのノースショアで水中撮影を20年続けるというのは、自分の中で1つの目標にしてきたもの。来シーズンは、いよいよ、その20年目のシーズンを迎えます。それを達成したら、還暦まで毎シーズン泳ぎ続けることが、現在の最終目標ですかね」

ほかにも、「まだ日本で確立されていない、サーフィンウォーターフォトグラファーの地位を確立したい」「いまサーフィン業界は、オリンピック競技化などで盛りあがっています。5年前に推定80万人だった日本のサーフィン人口は、推定120万人にまで増えました。この波を大きくしていきたい」と、数々の夢を話してくれました。

「僕は動画もやるので、いつか、サーフィンの映画も撮りたい。まずは、ロードムービーから。サーフィンにつきものの旅もまた、サーフィンの魅力のひとつ。僕らはいつも、サーファーとともに、未知なる夢と希望を求めて、旅をしているんです」

撮影・伊東武志

Information

神尾光輝オフィシャルアカウント

神尾さんのFacebookアカウントは、「神尾光輝」または「KAMIO MITSUTERU」。Instagramアカウントは、「KAMIOMITSUTERU」。サーフィンにまつわる、さまざまな写真・情報を発信中。

波伝説

サーファーのための波情報と、京都大学防災研究所と共同で研究・開発した波浪予測システム『Wave Hunter』による風・波の予報を提供。レポーターによる解説付き動画波情報は、「波伝説」だけ。大会レポートなど、国内外の最新サーフニュースも配信。神尾さんと、同じくサーフィンフォトグラファーとして活躍する木本直哉さんからなるシューティングチーム「CORE SURF JAPAN」によるレポート・写真なども多数掲載中。動画波情報は業界最多。

サーファーズローン

サーファーの方にも、これからサーフィンを始めようと考えている方にもオススメなのが、サーファーズローン。サーフボードだけでなく、ウェットスーツやスクール、遠征費用などサーフィンに関わるすべてのものに利用可能。最長で120回払いまで選択できるので、ご都合に合わせて返済プランを立てることができます。お申込みは、Webまたは電話で。(来店不要)

※審査の結果、ご希望にそえない場合がございますので、あらかじめご了承ください