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患者に説明をする外山さん

一人でも多くの人に、健康と元気を届けたい!

カイロプラクター
外山 誉人さん

2006年7月、東京・青山にカイロプラクティック院『Voice Of Spine(ヴォイス・オブ・スパイン)』を開院した、カイロプラクターの外山誉人さん。野球部所属時代にご自身も腰を痛めたことをきっかけに、人のカラダを治す道を志したという外山さんに、カイロプラクターの仕事や苦労点、また現在のやりがいや、これからの夢などについてうかがいました!

カイロプラクティックとの出会いは、ギックリ腰

外山さん

 小学校時代からずっと野球に打ち込んで来たという外山さん。高校で最後となる夏の大会を目前に腰を痛めてしまい、出場が危ぶまれる事態に。

「最も大切な試合の4日前に、ギックリ腰になってしまったんです。動くことすらままならなかったのですが、何とか出場したいと紹介してもらったマッサージを受けると、どうにか動けるようになり無事に試合に出ることができました。このように人を幸せにするものがあるのだと、とても驚き感謝したことを覚えています」

 大学でも野球を続けると、卒業後の進路に「スポーツに携わることができて、また人のカラダを元気にする仕事に就こう」といろいろ探す中で父親から教えられたのが、カイロプラクティックとその学校の存在でした。

「カイロプラクティックはアメリカやオーストラリアなど海外では確立されていて、アスリートだけでなく、一般の方々も健康にしてあげられるものだと知り、スポーツに携わる方だけではなくたくさんの困っている人を助けたいと思いました」と、カイロプラクターへの第一歩を踏み出しました。

最初はお客さまが少なく、ビラ配りもしました

卒業証書外山さんの診療所が掲載された雑誌

カイロプラクターの仕事は、日本では国家資格を必要とするものではありません。しかしアメリカやオーストラリアなどでは法制化されており、WHO(世界保健機関)もカイロプラクティックのガイドラインを定めるなど、国際的な基準も明確になりつつあります。 「私も5年間に渡り勉強と臨床を重ね、懸命に知識や技術を習得しました。勉強は本当に大変でしたが、同時にとても充実したものでもありましたね」

 外山さんがこう語る通り、学校に入学するとすぐに解剖学や生理学、病理学といった基礎医学の知識や、カイロプラクティックの専門知識や技術など、人体に関するあらゆることを学びました。5年間の勉強を終え卒業すると、これからは自分でやっていきたいとの思いから、すぐに院を開業することに。

「偶然良い場所を紹介されて、即決しました。今年で8年目になるのですが、最初の3年間は日々、訪れる人が少なく、経営面でとても苦労しました。空いた時間を活用して知識を深め技術を磨きながら、街角でのビラ配りをするなど必死でした」