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イメージをカタチにして人々に驚きをもたらす

屋外広告デザイナー
鈴木 秀一さん

地元の浜松で、少年団に所属するなど幼少期からサッカーに親しんでいたという鈴木秀一さん(30)。またサッカー以外にも、ものをつくることや機械などをいじることが好きだった鈴木さんは、高校時代にエンジニアという仕事に憧れをいだくことに。特に航空力学に興味を持ち、大学で理工学部に進学すると、テレビでお馴染みの『鳥人間コンテスト』のサークルに所属し、飛行機の設計担当として出場を果たしました。その後も“つくる”ことへの想いは強く、卒業後に浜松に戻ると看板をはじめとした屋外広告や、ノベルティグッズのデザイン・制作を行なう会社に就職。デザインとあらゆる機械のオペレーションを手がける鈴木さんに、仕事のやりがいや今後の夢などについてうかがいました!

サッカーとものづくりにあけくれた少年時代

インタビューに答える鈴木さん

 小さな頃からサッカーが好きで、ずっとサッカーに打ち込んでいたという鈴木秀一さん。サッカーと同じく小さな頃から好きだったのが、ものをつくったり、機械を操作したりすることだったといいます。

「自分で何かを手づくりしたり、機械を操作したりすることが、とても大好きな子供でした。少年団でサッカーに打ち込むと同時に、いつも何かをつくったり動かしたりしていました」

 高校時代まで、そのような日々を過ごしていたという鈴木さん。高校卒業後の進路を真剣に考えた際に、本格的にエンジニアの道を志したそうです。

「何かをつくるとかオペレーションをするとか、それまでずっと好きだった道に進みたいと思いました」

 そして、生まれ育った浜松から上京し、大学では理工学部に進学することに。

 なかでも航空力学に強い興味があったという鈴木さんを待っていたのは、自分たちのアイデアと手づくりの飛行機で飛行距離を競うテレビ番組『鳥人間コンテスト』に出場するためのサークルでした。ここで鈴木さんは、飛行機づくりに熱中する青春時代を過ごすのでした。

ものづくりの喜びと困難をサークル活動で体験

作業中の鈴木さん

 大学公認のサークルで、他大学からのメンバーも含め50人以上の仲間たちと、自分たちの飛行機をつくることに夢中になったという鈴木さん。一番の想い出は大学3年のときの『鳥人間コンテスト』への出場だったそう。

「パソコンなどで設計・シミュレーションを行なっては、キャンパスで実際に制作するという毎日で、本当に充実していました。大学3年のときのコンテストでは僕が設計を担当して競技に臨みました。競技の際は海上のボートからパイロットに大声で指示を出して頑張ったのですが、電気系統の不具合で飛行距離は70mでした。納得できる結果ではありませんでしたが、ものをつくることの喜びと難しさを体験させてもらう、貴重な機会となりました」

 大学を卒業してからは大学院に進む予定でしたが、家の事情などもあり地元の浜松に戻って就職することに。

「クリエイティブな職種をキーワードに就職活動をしました。そして出会ったのが、現在勤務している『(株)アライデザイン工芸』でした。看板や垂れ幕といった屋外の広告を中心に、さまざまなデザインや印刷を手がけている会社で、自分の世界がまた大きく広がることとなりました」