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からあげの美味しさを世界の人々に!

からあげ店店長
原田 祐輔さん

からあげの聖地として、多くの専門店が建ち並ぶ大分県中津市に生まれ育った原田祐輔さん(29)。そんな地域柄もあって、幼少期からからあげが日常の一部となっており、2012年に東京・駒込駅前で中津からあげ専門店『吉吾(きちご)』をオープン。「小さな頃から慣れ親しんでいた、中津の美味しいからあげを全国に広めたい!」との想いを抱いてのスタートだったといいますが、元々は自分でお店を開くとは考えていなかったそう。そんな原田さんの開業に至るまでの経緯や現在の仕事のやりがい、そして今後の夢などについてうかがいました!

いつも身近にあった「中津のからあげ」

吉吾のからあげ

 “からあげの聖地”として国内外で知られている、大分県中津市。かつてこのエリアに養鶏場が多かったことや、お総菜を扱う店が一番おいしい“揚げたて”を提供したことで評判となり地域全体で店舗が増えたなど、その由縁はさまざまに語られています。

 原田祐輔さんが生まれ育ったのは、まさにその大分県中津市。家でつくる家庭の味もあったそうですが、近隣の専門店でからあげを気軽に購入して家族や仲間とみんなで食べることが多かったといいます。

「物心ついたときから、からあげは本当に身近な食べ物でした。休みの日に家族で買いにいったり、友達とみんなでいろんな味を食べて楽しんだり。モモ肉ならこのお店、砂肝だったらここと、お店の特長も熟知していました。からあげは生活の一部というか、一つの文化になっていたように思います」

 原田さんのお父さまも、中津のからあげの大ファンだそう。

「家でも父の特製からあげをよくつくってもらいました。印象に残っているのは、父と関西や関東の知人や親類を訪れる際に、必ず手土産が中津のからあげだったこと。『これが中津の味、ぜひ食べて』と父が自慢げに話していたことを記憶しています」

 この頃はまだ、自分でからあげのお店を運営する気持ちはまったくなかったそうですが、このように“中津のからあげ”への熱い想いは徐々に育まれていきました。

からあげの魅力を自らの行動で広める!

インタビューに答える原田さん

 高校を卒業した原田さんは、いろいろな土地を見てみたいと資金を貯め、まずは地元の九州を離れ大阪へ。アミューズメント施設のスタッフや営業などの仕事を経験しながら、自分のこれからの道を模索していました。

「昔から父が『いつか自分のからあげ店をやってみたい』と話していたこともあり、それがずっと頭の片隅にありました。自分もいろいろな職種を経験しながら、いつか何かをやりたいと思っていましたので、それなら大好きな中津のからあげをもっと広く味わってもらえるようにしようとひらめきました」

 調理の知識や経験のある同級生と「一緒にやろう!」と意気投合すると、早速からあげ専門店のオープンに向け行動を開始。独自のレシピを開発しながら、最初の出店場所のリサーチを開始しました。

「出店の場所は東京にしようと決めていました。まずは東京という場所で、少しでも多くの人に中津のからあげを味わっていただきたいと考えたんです」

 2年ほどの時間を費やして都内のさまざまな場所を巡り、JR山手線「駒込」駅前の商店街の一角で、オープンを決意。

「まずはファミリー層に親しんでいただきたいと考えていたので、商業的に大きい場所ではなく、下町風情にあふれ地元の方が多く通るところが気に入り、出店を決定しました」

 不安と期待の両方を胸に、原田さんの新たな日々が始まりました。