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介護の素晴らしさを多くの人に伝えたい

介護士
森田 裕康さん

甲子園出場を目指して、小学生の頃から野球に打ち込んでいたという森田裕康さん(35)。高校最後の大会で惜しくも敗れるも、満足感を得ることができ、次なるステージを目指すことに。大学進学やスポーツなどさまざまな選択肢があるなかで考えたのは、両親からの薦めもあった“手に職を得る”こと。そして自分の将来を真剣に考えて決めたのが、介護・福祉業界への道でした。現在は介護士として活躍する森田さんに、仕事のやりがいやこれからの展望などについて伺いました!

自分と社会の未来を考えて介護の道へ

インタビューに答える森田さん

 小学生の頃から高校時代まで、「ずっと野球漬けの日々でした」という森田裕康さん。高校最後の夏、地元東京都の大会でベスト8に残るも甲子園出場を決めたチームに敗戦を喫し、それを機に自分の未来について真剣に考え始めたそう。

「ずっと野球を頑張ってきましたが、最後の大会を終えて自分のなかに一つの満足感がありました。そこから自分の将来やこれからの進路について考え、大学・専門学校への進学や就職など、いろいろな可能性を探り始めました」

 特に心に残ったのが、両親からのアドバイスだったといいます。

「いろいろな選択肢があるなかで、両親からは“手に職を持つ”ことを勧められました」

 “手に職を持つ”と考えたとき、最初に浮かんだのが、高校時代に知人のお店でアルバイトをしたことがある、美容師でした。

「でも母親からの『これから少子高齢化の時代。人の役に立つ介護・福祉の仕事がいいのでは?』という一言で考え直し、介護・福祉の専門学校に進学しました」

 手に職を持つことができて、社会の役に立つこともできる。そう確信した森田さんは、それまでの人生では考えたこともなかったという、福祉の道へと一歩を踏み出しました。

自問自答を繰り返し介護職の素晴らしさを知る

インタビューに答える森田さん

 介護や福祉への道を決心した森田さんですが、当初は不安も多かったといいます。

「介護や福祉というと、まだ詳しく知らなかったこともあって、ちょっと暗くて特殊なイメージがありました。専門学校1年目の夏に現場でボランティアの短期実習があったのですが、その際に自分はこれから本当にやっていけるのだろうか、大変だし、ほかにもっと良い仕事があるのではないかなんて思ったこともありました」

 その気持ちを払拭してくれたのは、その年の冬に老人ホームで1か月に亘って過ごしたときの経験だったそう。

「1か月もの間、老人ホームの利用者さまや施設職員の皆さんと過ごすうちに、とても介護の仕事にやりがいを感じるようになったんです。食事や排泄といった日々のケアは大変さもありますが、何より『ありがとう』と喜ばれ頼りにされるのが本当に嬉しかったです。野球でずっと集団生活を体験してきたせいか、一人ひとりとのコミュニケーションもとても楽しくて、介護という仕事はなんて素敵な職業なんだろうと感じました」

 本当にずっと自分がやっていけるのかは分からないけれど、とにかくやってみよう、役に立っていこうと感じたという森田さんは、専門学校を卒業すると、現在勤める社会福祉法人賛育会に就職し、介護の仕事をスタートさせました。