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花を通して心をつなげる

フラワーデザイナー
今野 亮平さん

小学生の頃から水泳やサッカーなどスポーツに打ち込んできた今野亮平さん。大学で国際関係学部に進学すると、学業の傍らアジアなどへの海外旅行を通じて見聞を広め、米オレゴン州ポートランドへの留学も経験。ポートランドの自然と一体化したデザインの街並みやクリエイティブな人々に触れ、自分もデザインに関わる仕事がしたいと思うようになったそう。そしてグラフィックデザインの仕事の経験を経て、「花を通して人の心と心をつなげたい」と、フラワーデザイナーに。そんな今野さんに、現在の仕事のやりがいやこれからの展望などについて伺いました!

スポーツ三昧の学生時代

インタビューに答える今野さん

「平日は水泳で土日はサッカー。遊ぶときも野球やサッカーばかりしていました」と、自分の子ども時代を語る今野亮平さん。水泳では日本9位、サッカーでも好成績を残し、「将来自分がフラワーデザイナーになるなんてまったく想像もしていなかった」といいます。

 しかし今振り返ってみると、モノをつくったりすることは大好きだったそう。

「小学2年生のときに、プラモデルのコンテストがあって賞をもらいました。今思えばですが、その頃から何かをつくったり組み立てたり、色を考えたりすることが好きだったんですね」

 さらに、自宅では母親であり日本のプリザーブドフラワーの第一人者、今野政代さんがスクールを開いていたこともあり、クリエイションすることに自然と意識が向いていたのかも知れない、と今野さんは自分自身を分析します。

 そして、大きな転機は大学への進学後に訪れました。

「世界のことをもっと学びたいと考えて、大学では国際関係学部を選択したのですが、入学するとすぐにアルバイトでお金を貯めてはアジアなど海外を旅するようになりました」

 このときのさまざまな経験が、今野さんの視野を大きく広げることになりました。

旅での出逢いがデザイナーの原点に

今野さんの作品

 大学時代にはアジアを中心に、さまざまな国へ旅に出た今野さん。特に印象的だったのはインドやネパールでの体験だったそう。

「死生観が変わっただけでなく、自分がいかに恵まれた環境にいるのかということを考えさせられました。もっともっといろんなことにチャレンジしていかなくてはと思いましたね」

 そしてさらにいろいろ体験して学んで視野を広げたいと、知り合いの縁をたどってアメリカへの留学を決意しました。

「ポートランドに留学したのですが、デザインやクリエイティブな空気があふれている街でとても刺激的でした。街自体が自然と融合したデザインになっていたり、書店やカフェも本当におしゃれだったり。ファッションやインテリアにも興味があって、街を歩いていると目に入るすべてが、インスピレーションの源みたいな印象でした(笑)」

 そしてポートランドでの日々が、今野さんにある決心をさせました。

「ポートランドで時間を過ごすうちに、自分はデザイナーになりたいって思うようになったんです。でも、何のデザイナーになるのかはまだ分からなかったのですが(笑)。とにかく、自分はクリエイティブを生み出す、デザイナーになろうって強く感じたんです」

 それが今野さんの歩む、デザイナーへの道のスタートとなったのでした。