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2013 Mar.14
Dream & Passion
~輝ける女性たちの肖像~ Vol.9

-元全日本バレーボール代表
・高橋みゆきから学ぶ
「心」の鍛え方-
神様は超えられない試練を与えない

自分らしく活き活きと働く、素敵な女性たちを紹介する「Dream & Passion」。第9回目のゲストは、元全日本バレーボール代表の高橋みゆきさん。小学校1年生からバレーボールを始め、高校卒業後はNECロケッツに入団し、身長170センチとバレーボール選手としては決して大きくない身体で全日本代表の中心として活躍。アテネ・北京オリンピックに出場し、イタリア・セリエA1のヴィチェンツァでプレーするなど、その実力と「全日本の元気印」と言われた明るいキャラクターで多くのファンを魅了してきました。2012年にトヨタ車体クイーンシーズを退団し、引退された高橋さんに現在の活動やバレーボールの魅力、心の鍛え方などについてお話を伺いました。

聞き手:
スルガ銀行d-laboスタッフ 和智
神様は超えられない試練を与えない ―元全日本バレーボール代表・高橋みゆきから学ぶ「心」の鍛え方―

家族全員がバレーボール選手という環境

高橋さんインタビューの様子

d-labo現在、どんな活動をされているのか教えてください。

高橋「バレーボールの楽しさ、素晴らしさをたくさんの人に伝えていきたい」をテーマに全国各地で子どもたちを対象にバレーボール教室を開催しています。また、スポーツやバラエティ番組などのテレビ出演、イベント出演など幅広く活動しています。プライベートでは、今までバレーボール以外のスポーツ観戦をしたことがありませんでしたので、野球、サッカー、ボクシングなど、さまざまな試合を見に行っています。

d-laboバレーボールを始めたきっかけを教えてください。

高橋父が小学校のバレーボールチームの監督で、バレーボールをする環境が整っていました。兄も母もバレーボールをやっていたので、小学1年生の時に父親が指導するチームに入り、バレーボールを始めました。特に強制されたわけでなく、自然な流れでしたね。

d-labo子供の頃からバレーボールの選手を目指していたのですか。

高橋最初はスイミングやバスケットボールもやっていて、小学3年生の時、本格的にバレーボールの練習を始めたのです。その頃は練習すればするほど習得できる技術が多くなるので、とても練習が楽しかったのを覚えています。「全日本の選手になりたい」とか、「オリンピックに出たい」と思ったのは、実際に試合にでるようになった小学6年生の頃でした。

d-labo女子チームで練習していたのですか。

高橋ええ、そうです。男子チームと合同で練習することもありました。そのチームには兄も弟もいましたね(笑)。

d-labo 小学校の頃から上手だったのですか。

高橋私より上手い人はたくさんいましたよ。小学生の頃は背も低かったですし。私の父親はポジションを決めずに練習を行っていたので、上手にできるポジションもあったし、そうでないポジションもありました。

d-labo 高橋さんは子どもの頃から飛び抜けて上手かったのかと思っていましたので、意外です。当時の練習はいかがでしたか。

高橋練習自体は小学生の頃が一番厳しかったと思います。でも、それよりも楽しさが勝っていたので、全然、苦ではなかったですね。練習は週4回位で、体育館を使える時間が決まっているので2時間ほど。父親が行っていたのは、キャッチボールなどの基本練習とバレーボールに必要な技術を結びつける練習が中心でした。例えば、スパイクを打つ時にバレーボールを使わずにテニスボールを使い、手首のスナップを鍛えるなどです。そういった練習があったから今の私があると思います。肩も強くありませんでしたし、私が知らないところで父親が考えて練習メニューを組んでくれていたことはたくさんありますね。

コートネーム「SHIN」は、「心を鍛えるように」と先輩がつけてくれた

高橋さんインタビューの様子

d-labo高橋さんの考えるバレーボールの魅力や好きなところはどんなところですか。

高橋何より好きなのは「チームプレー」であることです。仲間たちと苦楽をともにし、みんなで同じ目標にむかって努力することが素晴らしいと思います。苦しければ苦しいほど、絆が深まりますし、これが団体競技の魅力だと思います。

d-laboチームプレーで大切にしていたことは何ですか?

高橋それは、チームメイトとたくさん話をすること。プライベートでも一緒に食事や遊びに行きました。そこでもコミュニケーションがとれますし、よく「頑張ろう」と熱く語っていましたね。

d-labo日本のスポーツの場合、「心技体」を大事にしています。バレーボールの世界もそうなのでしょうか。

高橋バレーボールは団体競技ですので、チームワークが大切なのですが、日本代表クラスになると、一人ひとりの能力が高くないと勝てません。強いチームとは、個々のレベルが高く、その技術を試合で活かすことができるチームだと思います。

d-labo高橋さんのコートネーム「SHIN」は「心技体」の「心」が弱かったということで、「心を鍛えるように」と実業団の先輩の方につけていただいたそうですね。心を鍛えるのはすごく難しいと思うのですが、独自のやり方などはあったのですか。

高橋最初はどうやったら鍛えられるのか、わかりませんでした。やがて気がついたのは環境を変えて自分自身を追い込むこと。私は追いつめられないと力を発揮できないタイプでしたので、あえて辛い環境に行くようにしていました。2005年にイタリアのチームに入ったのは、そういう理由もあります。他人に追い込まれて精神を鍛えるのではなく、自分で何かを変えて行動することが成長につながると思います。

「バレーボールを見たくない」とまで思ったシドニーオリンピックの苦渋からアテネオリンピックへ

高橋さんインタビューの様子

d-labo2004年にアテネオリンピックの出場権を獲得した時はどんな思いでしたか?

高橋まさに「よかったぁ~」という一言に尽きます!その前のシドニーオリンピックの出場権は逃していて、その時に初めて「バレーボールを見たくない」とまで思いました。そのまま辞めてしまおうかと考えながら、もやもやする中でバレーボールを続けていたのですが、環境の変化などがあり、もう一度、オリンピックを目指してみようと決意。この苦い想いや、シドニーオリンピックの時のチームメイトで、辞めてしまった人たちへの想いもありましたから、ここで負けてアテネオリンピックの出場権を逃したらもうバレーはできないと思っていました。心の底から「よかった」と、人生で思ったのはこの時だけですね。シドニーオリンピックの経験があったからこそ、アテネオリンピックに行けたのだと思います。

d-labo逆に言えば、シドニーオリンピックの時がよほどショックだったのですね。

高橋ショックを通り越していましたね。シドニーオリンピックに行けなかったことでとても叩かれ、みんなが敵に見えました。人間不信にもなりましたね。

d-labo高橋さんはアテネがオリンピック初出場だったわけですね。オリンピックの舞台に立つというのはどんな感じなのですか。

高橋オリンピックは子供の頃から夢で大舞台でしたが、普段通りに臨んで調整もしっかりとしていたはずなのに、いざその場所に立ってみると、何かふわふわしていて、自分でも何をやっているのだろうと言う感じでした。

d-labo地に足がつかないという感じでしょうか。学生時代からたくさんの試合をしてきてそんな思いをされたことがあるかと思いますが、それとは全然違うのですか。

高橋似たような感じはありましたが、学生時代は日の丸を背負っていませんから。日の丸は本当に重いんです。バレーボールをしている人はたくさんいるのに、オリンピックのコートの中に立てるのは6人だけ。そんな状況ですから、体調も悪くなり、大変でした。アテネオリンピックを通じて、自分の弱さを感じましたね。

意外と向いていたイタリア時代

高橋さんインタビューの様子

d-laboアテネオリンピック後、イタリアのセリエA1のヴィチェンツァへ自分を鍛えるため行かれたそうですが、バレーボールに取り組む姿勢など、日本にいた頃と比べて、イタリア時代はいかがでしたか。

高橋イタリアのチームでは、成果を残せずすぐ解雇になるという人が何人もいて衝撃的でした。次の日、練習に行ったら、解雇になった人はいないわけです。私が日本でいかに恵まれていたのかを感じました。イタリアでは、ダメなら解雇ですし、良かったらお金をどんどん貰えるというようにハッキリしています。これが日本と全く違うところ。結果を出せば周りも認めてくれますし、そういうわかりやすさが自分としては好きだったので、やりやすかったですね。また、イタリアには、自分が日本代表として成長するために行っていたので、「日の丸を背負うため!」という想いは日本にいた頃と変わりませんでした。

d-laboイタリアと日本のリーグで、バレーボールの質に違いはあるのですか。

高橋もともとバレーのスタイルが日本とイタリアでは違います。日本のスタイルとしては粘り強く、レシーブをして、ラリーを長く続けるのですが、イタリアでは全くそんなことはなく、男子みたいにパワーや高さで押しきる感じ。ラリーが続かないから、たまに続くとすごく盛り上がります(笑)。私は高さやパワーを全面に出したプレーは、どうあがいてもできません。それなら日本のバレーで培ってきたことをイタリアでやれば良いと思い、「ボールを全部拾ってやる!」という意気込みでレシーブをたくさんしました。そのことについてはイタリアのチームは認めてくれましたね。また、イタリア人だけでなく、ブラジル人やポーランド人などのナショナルチームの選手も在籍していたので、練習のレベルも高く、とても充実していました。

d-laboイタリア時代、選手としての高橋さんは非常に充実していたんですね。それでは、プライベートはどうでしたか。

高橋良かったですよ(笑)。イタリアでの練習は限られた時間の中で、全力で取り組みます。練習の集中力が半端ではなく、毎回ケンカするぐらい真剣に練習をして、それが終われば一切フリー。練習後はチームメイトのボーイフレンドや旦那さんが迎えにきていたりします。初めてその光景を見た時にはびっくりしましたが、ONとOFFの切り替えがはっきりしていて、これも私に向いていると思いました。

d-labo言葉の問題はなかったのですか。

高橋全くできないままイタリアに行ったので、最初の1年間、プライベートの時間は語学の勉強ばかり。現地の日本人の方に教わりながら、毎日2、3時間勉強しました。最初はとにかくバレーボール用語を覚えました。あとは部屋をシェアしていたルームメイトとよく喋りましたね。たぶんメチャクチャなイタリア語だったと思いますが、喋らないと何もコミュニケーションがとれないため、喋り倒しました(笑)。

d-labo今のお話を伺った感じでは海外でのプレーや生活が向いていたのですね。日本人はどちらかというと苦手な人も多いと聞きますが…。

高橋そうですね。最初は「日本人が来た…」というネガティブなイメージで見られていたのを感じましたが、それはプレーで挽回すればいいと思い、気にしませんでしたね。

壁を意識したことがなかった

高橋さんインタビューの様子

d-laboこれまで一番辛かったのはシドニーオリンピックの時だったのでしょうか。逆に言えば、壁にぶつかった時にどう乗り越えてきましたか。

高橋うん、実は壁を感じたことがないのですよ。それは自分に必要なものだと思っていましたから。「神様は超えられない試練を与えない」と考えていて、辛いことや嫌なことはたくさんありましたけど、壁とは思っていなかったですね。

d-labo高橋みゆきさんのこれからの抱負や夢を教えてください。

高橋昔みたいに「オリンピックに出る」という明確な目標は、今はありません。次の目標を探している状態で、その中で自分ができることをしていきたいですね。たくさんの子供たちにバレーボールの楽しさを知ってほしいので、バレーボール教室などの活動は続けていきたいです。また、今はテレビ出演やスポーツ観戦など、いろいろなところに顔を出しています。今までバレーボールだけの生活でしたので、新しい環境でさまざまなジャンルの方々とお話しする機会が増え、それが楽しいです。視野が広がった感じがして、今はとても充実していますね。

d-labo高橋さんは現役時代にキャプテンもされていましたね。将来の道として、バレーボールチームの監督をされることはあるのでしょうか。

高橋私がチームの指導者になることはないと思います。たくさんの子どもたちにバレーボールの楽しさを教えて、その中から日の丸を付ける選手がでればうれしく思いますが、チームにこだわると、限られたメンバーにだけしか教えられません。また、性格的に指導者には向いていないかもと思っています(笑)。

すぐにやめたり、あきらめるのは簡単なこと

高橋さんインタビューの様子

d-laboこれからバレーボールをやりたい人や選手を目指す人、またはやりたいことがあるのに迷っている女性や夢に向かって頑張っている女性に何かアドバイスをいただけますか。

高橋バレーボールを目指す人も夢に向かって頑張ろうとしている女性も同じだと思うのですが、何かあったときにすぐに「自分は向いていない」「私にはダメ」と思い、やめてしまったり、あきらめるのはとても簡単なことです。でもまずは続けることが大事だと思います。自分が本当にやり遂げたいことや好きなことであれば、嫌なことがあっても続けられるので。それで心が折れるなら、本当にやりたいことや好きなことではないのだと思います。あとは迷った時は失敗してもやったほうがいいですね。私もイタリアに行く時は失敗するかもしれないと迷いましたが、行かないでこのまま日本にいるよりも、行って失敗した方がためになると考え、行きました。やらないで後悔するよりもやって後悔したほうが何かを得られると思います。

d-labo高橋さんの夢は叶ったわけですね。

高橋私の場合、すぐに叶う夢ではなかったですが、小学生の時から何十年も思い続けてオリンピックに出場できました。いろいろな人との出会いや運もあるとは思います。でも、こんなにしつこくバレーボールを続けていたから、どこかで神様が見ていてくれたのだと思います。

Information 1

高橋みゆきオフィシャルブログ

高橋みゆきオフィシャルブログ

仕事やプライベート、最新情報などを本人が生の声で綴っているブログ。

公式ブログ
http://ameblo.jp/miyuki-takahasi/

Information 2

『シン!』

『シン!』

2008年に実業之日本社から発売された高橋みゆきさんの著書。バレーボールの楽しさやオリンピックへの熱い想いなど、涙と笑いのバレーボール人生が綴られている。
※d-labo六本木でもお読みいただけます。

Information 3

スルガVisaデビットカード

スルガVisaデビットカード

見事、夢を叶えた高橋みゆきさんのお話はいかがでしたか?高橋さんも一時期、海外でプレーされていましたが、最近は海外での日本選手の活躍が目覚ましいですね。そこで、海外へスポーツ観戦に行く時におすすめしたいのが、スルガ銀行のVisaデビットカード。世界中のVisa加盟店でショッピングができるだけでなく、VisaやPLUSマーク表示のATMでご自身の口座から現地通貨を引き出すことができます。旅行前のわずらわしい両替から解放されたい方、たくさんの現地通貨を持ち歩きたくない方は、ぜひお申込みください!

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文 高橋真由美(Inner Promotion Network)
撮影 松本祐亮